はっぴいえんど
 はっぴいえんどというバンドは細野晴臣(b,vo)、大瀧詠一(vo,g)、鈴木茂(g,vo)、松本隆(ds)の4人からなるロックバンドです。ソングライターは大瀧、細野を中心に後期にはいると鈴木茂も楽曲を積極的に発表していくようになります。はっぴいえんどはまだ日本でも英語でしかロックは出来ないといわれていた時代に「日本語によるロック」を意識的にチャレンジした最初期にあたるバンドです。彼らの「日本語でロックする」ための音節をぶった切った日本語を使う歌詞は当時非常に聴き取り辛く変だ、と一部のファンを除いてあまり評価を得られませんでした。彼らがレコードデビューしたのが1970年8月。当時はまだまだアイドル的なGSや演歌、歌謡曲が幅を利かせており、こうしたロックバンドというのは肩身が狭いもの。その上、この「日本語でロックする」という特異なアティチュードや、バッファロースプリングフィールドやモビーグレープなど当時はまだ日本では一般的ではないアメリカン・ロックのサウンドを下敷きにしたためか、その逸れ者であるロックバンドの中からさえ爪弾き者にされかけていました。といっても管理人の私は1982年生まれ。そんな時代背景を知る由もなく資料を拾って来てこんなことを書いてるのです。メインソングライターの細野晴臣さんのはっぴいえんど以後最も著名な活動であるYMOデビューや大滝詠一さんの歴史的傑作「A LONG VACATION」にすら間に合っていません。そんな私にすらはっぴいえんどが有効であるのは楽曲の良さ、言葉の選択・韻の踏み方のおかしさ、プロフェッショナルな演奏に尽きると思います。それゆえ解散直後から常にロックファンや濃いポップスファンには評価は高く、90年代に本格的なフォロワーが現れるという奇妙な状況を生みました。 そして2004年3月31日、再評価の究極の形だと思われるBOXセット「はっぴいえんどBOX」が発売される。
 はっぴいえんどのデビューアルバムである本作は1970年8月にリリース。ジャケットデザインには当時「ガロ」(伝説的漫画雑誌)で活躍していた漫画家の林静一を起用。そしてジャケットに記載された文字から通称“ゆでめん”と呼ばれる。彼らが漫画や映画といったサブカルチャーからの影響を受けたバンドであるということが分かる。内容は全3作を通して振り返ってみるとこのデビューアルバムが彼らの中で一番「ロック」っぽい。基本的に当時日本で隆盛を極めていたカレッジフォークのカウンターとして登場しているためであると思われる。1曲目には“だけど全てを賭けた 今はただやってみよう”と所信表明もと取れるバンドの代表曲である「春よ来い」が収録されており、いきなり大瀧のヴォーカルと鈴木のギターが唸りを上げる。2曲目は冬の室内での微妙な男女間の一瞬を切り取った名曲「かくれんぼ」。この楽曲や3曲目「しんしんしん」、9曲目「朝」などフォーク色の強い楽曲が目立つ。このサウンドボキャブラリーの広さ、キャッチーさががはっぴいえんどがはっぴいえんどたる所以で、逆に言えば当時英語でロックをやっていた人や厳密にロックやロックンロールを定義しようとする人々から非難される部分でもある。私はこの混在振りや佇まいそのものが「ロック」であるとしか表現しようが無いと思うが。閑話休題。そしてアルバム中盤である4曲目〜6曲目はサイケデリックや実験的な楽曲で埋められビックリする事にフランク・ザッパ&マザーズインベイジョンみたいな曲すらある。こういった実験色の強い楽曲はこのアルバム以降殆どなくなるが、彼らがジミ・ヘンドリクスやドアーズ、そして前述のマザーズ等のサイケも許容範囲であったことを知るには重要な資料となり得る。そして7曲目には、はっぴいえんどが結成されてはじめて完成したと言われる名曲「12月の雨の日」が来る。この曲は後にURC原盤ならがらもベルウッド(キング)で出すシングルのためにシングルヴァージョンが製作されている。そして次は作詞作曲者である大瀧氏自身が後に「日本には『いらいら』(と言う曲)の居場所がないんだよ〜」と振り返った言葉遊び的なグルーヴィなガレージ・ブルースロック。そして前述の「朝」挟んだ最後の2曲「はっぴいえんど」と「続はっぴいえんど」は言葉・作詞者松本隆と言う面で本作中最も重要であろう。特に「続はっぴいえんど」ではアコースティックギターのバッキングを裏に松本自身がポエトリーリーディング的な試みを展開する。それにしてもURCというレーベルカラーもあってか、このアングラ・サイケ・フォーク色の強い作品がCDの帯(東芝製紙ジャケCD盤)に「日本語のロック誕生!」とされるのはやはり細野晴臣氏のベース、鈴木茂氏のギタープレイに拠る所が大きいと言うのも事実であると思う。
『はっぴいえんど』
『風街ろまん』
1、春よ来い
2、かくれんぼ
3、しんしんしん
4、飛べない空
5、敵タナトスを想起せよ
6、あやか市の動物園
7、12月の雨の日
8、いらいら
9、朝
10、はっぴいえんど
11、続はっぴーいいえーんど
「オリジナルスタジオアルバム紹介」
1、抱きしめたい
2、空いろのくれよん
3、風をあつめて
4、暗闇坂むささび変化
5、はいからはくち
6、はいから・びゅーちふる
7、夏なんです
8、花いちもんめ
9、あしたてんきになあれ
10、颱風
11、春らんまん
12、愛餓を
 セカンドアルバムにあたる本作はURC原盤でベルウッド(キング)からシングル「12月の雨の日/はいからはくち」をリリースした後、1971年11月にリリース。本作もジャケットは当時コアな漫画ファンには大変な人気を博していた漫画家・宮谷一彦を起用し“スーパーリアリズム”と呼ばれるような緻密な書き込みであたかも写真のような4人の顔が描かれた。よく見るとちょっと不気味である(笑)。前作『はっぴいえんど』は確実にシーンに一石を投じたようだが、実験的な部分も多く一部の評価・ファンを獲得するに留まった。このセカンドアルバムは前作と比べ実験、アングラ・サブカル、サイケ・ロック度合いが後退し、非常にすっきりと聴かせる。もはや清涼感すら漂わせている。楽曲は基本的にアメリカのフォークやブルース、スワンプ、ロックンロール(狭義の)、ポップス。彼らが幼少時代や当時心酔した音楽が無理なく滲み出ている。1曲目「抱きしめたい」から見事な楽曲構成とザ・バンドような演奏に対する集中力でバンドグルーヴは凄まじい。2曲目の大瀧作の「空いろのくれよん」は松本隆によるフォークというより童謡チックな歌詞に大瀧詠一が初めて音盤上で聴かせる「ヨーデル歌唱法」が印象的。大瀧は後のソロ活動でも何曲か「ヨーデルシリーズ」を展開している。3曲目の「風をあつめて」は当時独特の声質から自分の歌に自信を無くしてしまっていた細野晴臣がアメリカのシンガーソングライター、ジェーム・ステイラーの歌唱法にヒントを得て自信を取り戻し製作に向かったといわれるフォーク調の名曲。最近ではCMや映画「ロスト・イン・トランスレーション」にも起用されるなど人気のある曲です。そして4曲目が「暗闇坂むささび変化」。「所は東京麻布十番折りしも昼下がり」と大瀧・細野のハーモニーというよりはどちらかというとユニゾンに近いニュアンスで軽快に歌いだされるこのナンバーはタイトルからも窺えるように非常に歌詞が面白い。詞を熟読すると作詞者の松本隆はやはりこのバンドに都市、ひいては東京の埋れている一面を描き出せる可能性を感じ取っていたのだろうと思わせる楽曲。そして五曲目は「はっぴいえんど」というバンドがどういうバンドであるか最もよく現れた曲「はいからはくち」。サウンドは所謂ロックンロールを当時風にした疾走感溢れるものではあるが、なんと言っても凄いのは詞。松本隆が「半年かかった」と言われるこの詞を読むと改めて松本がはっぴいえんどというバンドのメンバーでありつつプロデューサーでもあったのを感じさる。とにかくこの感覚は聴いて詠んでみてもらうほかは無いでしょう。そして6曲目は大瀧の「多羅尾伴内」名義による前曲の続きのお遊び的な楽曲。そして7曲目が細野晴臣作曲の大名曲「夏なんです」。〜ギンギンギラギラの夏なんです〜と歌う細野は全く暑そうではないが(笑)、この「暑いけど、暑そうにはしない」や「僕は冷房の効いた部屋でぼんやりと暑そうな外を眺めてる」という佇まいこそが普遍的な都市の若者像の一面をくっきりと映し出す。これもはっぴいえんどの立ち位置を明確にする楽曲であろう。8曲目は、はっぴいえんどのジョージ・ハリスンこと鈴木茂が初めて発表した楽曲。大瀧にそっくりなヴォーカルなどまだ習作的な印象もある。しかし、しっかり次作に繋がる要素を含んだ楽曲は本作中これだけであるためやはり重要な楽曲。9曲目は大瀧・細野が全編ファルセットで歌う細野作の「あしたてんきになあれ」は90年代にCMに使用されて話題になリシングルカットまでされ、90年代にはっぴいえんどの評価が確立されたことを明確にする1曲となる。内容的にはいかにもはっぴいえんどな曲でスワンプっぽい質感、言葉の面白さが強調された佳曲。10曲目の「颱風」は大瀧の作曲によるブルースロックナンバー。特に鈴木茂のギターがワウを噛ませて唸りまくる。ライブ音源を除いて鈴木のギターがこんなに唸っている楽曲は数えるほどだ。11曲目「春らんまん」はゲストのシバがハープで参加している以外は取り立てて説明のする必要がない曲ではあるが個人的に大瀧と細野の崩れそうで崩れないハーモニーや間奏の鈴木のギターが堪らなく好みだ。そして最後は「愛餓えを」と言う曲はひらがな50音を大瀧が手癖のようなメロディでつぶやく様に歌う。全12曲、こう並ぶとこのアルバムの音楽は非常にジャンル分けが難しくなってくる。フォーク的な手法はあるが、日本のフォーク的なジメジメした質感を感じさせないし、ロックンロールやブルースは非常に泥臭くなく洗練された感覚がある。洗練と言ってもAORっぽい感覚は希薄だ。要素がわからないほどミックスされた歌謡曲と似て非なる確実にルーツを持ちながらもどこにも属さない感覚こそ本作が「都市ポップ」なるジャンルを開拓し由縁であろう。
 ラストアルバムにあたる本作は1973年2月にリリース。前作『風街ろまん』の出来に対しメンバーは少なからず満足感や達成感を感じていたという。その証拠にはっぴいえんどは前作直後活発であったライブ活動が徐々に減っていった。大瀧は以前から絡みがあったベルウッドでソロアルバムを製作し、バンドのライブがたまにあれば大瀧のソロアルバムからの楽曲のリクエストが飛ぶ、といったようなことからバンドは連帯感を失っていた。しかし、はっぴいえんどをベルウッドにスカウトした三浦光紀が「これではいけない」と海外レコーディングの話をバンドに持ちかけた。場所はメンバーが憧れ続けたアメリカ。これにバンドは喜んでOKし一行はロサンゼルスへ。そこで待ち受けていたのはブライアン・ウィルソンと幻のアルバム「スマイル」の製作に向かったヴァン・ダイク・パークスとニューオリンズR&Bを通過した独自のファンクを生み出していたリトル・フィートの面々だった。そしてこのはっぴいえんど版「アビィ・ロード」とでも言うべきこの作品のレコーディングが始まった。ところで「アビィ・ロード」の特徴と言うのはそれまでダーク・ホース的存在だったジョージ・ハリスンの楽曲の冴えであるが、このアルバムもはっぴいえんどのダークホースこと鈴木茂の楽曲(2・3・5曲目)が素晴らしい。一方ジョン&ポールだった大瀧&細野の楽曲は既にソロ化を始めており、松本の作詞も含めてはっぴいえんど的なモードは希薄。とにかく1曲目からまるで別のバンドかのように「ゆるい」。演奏がゆるいわけでは無いがメンバー間にヒリヒリするような緊張感があまりない。あるとすればヴァン・ダイクとのコラボが実現した最後の曲「さよならアメリカ さよならニッポン」位のものである。しかしそれ故音的にはソフトロック、ポップス、フォーク調のものが多く聴き易く、はっぴいえんど作品中最もリピートが効く一枚であることは確かだ。そしてこのアルバムは後続へ最も影響を与えた作品ともいえるであろう。この作品を作った後、結局バンドは極端にいがみ合う事も無く、以前のような結束を取り戻す事も無く、自然消滅状態に陥った。その後儀礼的な再結成とも言えるようなラストライヴを行い正式な解散を迎えている。
1、風来坊
2、氷雨のスケッチ
3、明日あたりはきっと春
4、無風状態
5、さよなら通り3番地
6、相合傘
7、田舎道
8、外はいい天気
9、さよならアメリカ さよならニッポン
モドル
『HAPPY END』