細野晴臣
ファンの贔屓目を抜いてもロック・ポップスの日本最高のベーシストであると断言したくなるのが細野晴臣。1947年7月9日東京都に生まれる。割と裕福な家庭で幼少から映画音楽などを好んで聴いたり出来る音楽的に恵まれた環境で育つ。エルヴィスを基点としアメリカのポピュラーミュージックにどっぷりつかる。中高生時代からフォークグループなど音楽活動をすでに行っていたがやはりビートルズの登場が決定的な転機となりロックバンドに参加し始める。大学時代に柳田ヒロや松本隆などとサイケデリックロックバンド「エイプリル・フール」でプロデビューするも、バンド長続きせず解散。そのエイプリルフールの残党であった松本隆と細野晴臣を中心に高校生の時からバンドコンテストなどで既に天才ぶり発揮していた鈴木茂、エイプリル・フール周辺をウロウロしていた(笑)大瀧詠一を加え結成したのが「はっぴいえんど」。はっぴいえんどもアメリカ西海岸のフォークロックに影響を受けた独自の音楽を展開したものの、結局オリジナルアルバム3枚で解散。解散後の細野はソロアルバム「HOSONO HOUSE」を発表する(1973年)。この作品は日本初のホームレコーディング(宅録)アルバムとして一部で話題になった。その「HOSONO HOUSE」の製作メンバーである松任谷正隆(ky)、林立夫(ds)、鈴木茂(g)の4人で演奏集団「ティン・パン・アレー」を結成。アルバム2枚残す他、荒井由美を中心とした様々な歌手のバックバンドとして恐るべき演奏多数残す。細野はソロも並行して行い75年に「トロピカル・ダンディー」、76年に「泰安洋行」、78年に「はらいそ」とトロピカル3部作を発表。沖縄とニューオリンズ、ハリウッド的映画音楽の手法を基礎としたワールドミュージックを展開。一部で大きな評価を得る。78年「はらいそ」のセッションで集まった坂本龍一(ky)、高橋幸宏(ds)とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成。活動初期はフュージョンの香りを残しつつクラフトワークをお手本にしたテクノディスコサウンドを、中期はイギリスのニューウェーヴに共振、後期になるとスティーヴ・ライヒやブライアン・イーノなどのミニマル・ミュージックや世界初のサンプラーを使ったサンプリングミュージックに手を染め、日本で初めて海外に影響を与える側の存在になってみせる。解散間際になるとなんと歌謡曲にまで手を伸ばし悪しきテクノ歌謡の誕生にも一役買った。YMOも83年には散開(解散)し、細野氏は自身レーベル「ノン・スタンダード」「モナド」を立ち上げYMO以降の音楽を展開。日本で最も早くアンビエントにも着目する。80〜90年代は映画のサントラ、インストゥルメンタル作品などが並ぶ。そういった割と地味な音楽活動とは別にCMなどで独特の雰囲気を醸し出すおじさんとしてのキャラが定着(笑)そのキャラをご本人も楽しんでいるそうだ。そして2000年代に入ると旧友・小坂忠のポップス復帰作の「People」をプロデュースするなど活動が肉体的に。そして2002年に元YMOの高橋幸宏とエレクトロニクスユニット「Sketch Show」を結成。現在に至る。ふぅー。な、なげぇ!この人は本当に才能豊かな人で、ソロアーティストとして大メジャーなフィールドとは常に一線引いた活動を気ままに行っているためこんなレビューごときで全てをかたろうなんてのは土台無理な話。ですので恐らくここで扱うのは彼の70年代一杯位までのソロワークスになると思います。管理人個人としては彼のベースプレイと独特のセンスを持ったユーモア感覚大好きです。特にベースプレイは初めに書いたとおり素晴らしいものがあります。恐らく日本人がこれほど黒っぽいフィーリングを出せると言うのは奇跡としか言いようがありません。勿論私はYMOから彼の音楽に惹かれ「はっぴいえんど」に大きなショックを受けました。最近は彼のワールドミュージック観やYMOのニューウェーヴ的な側面やミニマルミュージックとしてのセンスに非常に惹かれるものがあります。いずれにせよ常に先を行き過ぎて作品の発表当時正当に評価される事の無い(セールス的に成功してもね)彼の作品を理解できるリスナーでありたいな、というのが私の聴き手としてのささいな目標であります。(2004年 8月9日)
『HOSONO HOUSE』
1、ろっかばいまいべいびい
2、ぼくはちょっと
3、CHOO−CHOOガタゴト
4、終りの季節
5、冬越え
6、パーティー
7、福は内鬼は外
8、住所不定無職低収入
9、恋は桃色
10、薔薇と野獣
11、相合傘
1973年発表のソロデビュー作。日本発の本格的なホームレコーディングアルバム。ロックバンド「はっぴいえんど」の穏やかな解散劇を経てリラックスして製作に向かわれる。参加メンバーは松任谷正隆(ky)、林立夫(ds)、鈴木茂(g)、駒沢裕城(st.g)、細野美沙子(cook)の細野氏自身に身近なメンバー。音としてはYMO以降の音とは全く別のアメリカン・ロックサウンドです。この作品は細野氏自身のアメリカンロック・ポップス、映画音楽の深い傾倒ぶりと、はっぴいえんど解散直後と言う事もあってこの作品ではジェームス・テイラーの様なシンガーソングライター的手法を完全に消化しつつ独自ポップス感覚を放っていきます。ここでの細野作品は圧倒的にメロディが聴きやすい作品ばかりで詞にも優れた物が多いです。リラックスした宅録の雰囲気を伝える弾き語りのM1、しんみりした夕暮れの告白を描いた感動的なM2、「奴がやってるロックンロール あれはいいね」と自らの後の因果な運命を歌った軽妙なロックサウンドのM3、アコーディオンの音色と別れを歌う細野さんの苦笑いしたかのような声がとても耳に残る名曲M4、一転して明るいメロディーと作詞家宇野もんど(細野氏の作詞家変名)による「くしゃみを1つ」という楽しげな歌詞がフューチャーした管理人の大好きなM5、曲名の割りに全くパーティの始まる感じがしない曲調のM6、可愛らしいキーボードのフレーズがフューチャーされ、細野さんの珍しい高音ヴォーカルも楽しめるM7、ホーンがジャーンと入って来るわりに気だるいM8、曽我部恵一や中村一義にカヴァーされ細野作品の屈指の名曲であるM9は詞と駒沢氏のスチールギターが本当に素晴らしい。風呂で鳴ってるようなドラムがエフェクト的に使われ鈴木茂のスワンプギターがフューチャーされる佳曲M10、最後ははっぴいえんど時代の作品をアメリカのラジオジングル風に仕立てたわずか20秒足らずの作品で本作は終了する(中村一義の『ERA』のシークレットトラックはこれのオマージュではないかと管理人は思っている)。まさに捨て曲ゼロ。演奏面についても色々書こうと思いましたが素人の私ですから隙の無い演奏にぐうの音も出ません。また適度にローファイな音質も曲にあってると来てる。細野氏自身はこの作品の事を「コンセプトが無い習作時代のものだね」(要旨)と発言されております。しかしこの作品はその後の、特にロックとポップスと歌謡曲が完全に分裂した以降の90年代のポップスのシーンでは最重要作品と言ってもおかしくなく、空気公団、サニーデイサービス、中村一義、キリンジなどこの作品にどれだけ勇気付けられたことか想像するに容易い金字塔的作品なのです。(2004年 8月9日)