Nick Drake
Nick Drake。1948年6月19日ビルマに生まれ、イギリスで育つ。家柄はよく裕福な家庭環境にあったようだ。学業に秀で、190センチ大の身長で運動も申し分無しだった。幼い頃から音楽的な教育も施されていた彼が音楽に深くのめり込んでいくのはやはり大学生の頃。ケンブリッジ大学の生徒であった彼はボブ・ディランやアメリカの西海岸(ディランは東海岸だが)よりのシンガーソングライター達に影響受け他人の前で演奏し始め、エレクトリック・トラッドの創始者として有名なフェアポート・コンヴェンションのメンバーに才能を認められトントン拍子にレコーディング契約を勝ち取る。そうして69年9月に発売した1stアルバム「Five Leaves Left」は美しさと独特の湿度を生み出す傑作となった。土曜の深夜から日曜の朝方に聴きたい名盤だ。しかしこの作品はセールス的には大惨敗に終わった。それでもニックはこれにめげず、本腰を入れるため大学を中退してまで準備をし、ようやく発売されたのが2nd「Bryter Layter」(70年).。この作品はエレクトリック・ギターやストリングスを前作以上にフューチャーし、音楽的にも幅が広がった彼独特の静かなフィーリングを保ちつつも明るい色彩を持つ楽しいアルバムとなった。しかしまたもやセールスは惨敗。これにニックの才能を絶賛していてくれたプロデューサーもニックの元を離れてしまう。こういった様々な要因が重なって元々繊細すぎる神経の持ち主だった彼はこれを期に精神を病み、抗鬱剤を常用するようになる。そうした中ニックは気丈にも新作のレコーディングへ向かう。エンジニアのジョン・ウッドにプロデュースも依頼し、わずか2日間でアルバム「Pink Moon」(72年2月発売)のレコーディングを終える。作品は“アレンジはいらない 装飾はいらないんだ”というニックの意向にそってピアノ、ギター、声のみのものとなった。言葉は元々鋭い物があったもののここでは精神自体が鋭角化しているためか、ニックが意図せずともこちらを動揺させるような歌詞が多い。しかしこれもセールスとは無縁のものとなり、ニックは遂に精神病院へ入院するほどに病状は悪化。アーティストとしての道以外の方向も模索されたが結局1974年11月25日彼はベッドの上で帰らぬ人となってしまった。死因は抗鬱剤の誤用、自殺など諸説ある。しかし現在彼の音楽は世界中で愛され、楽しまれている。しかしそれも当然かもしれない。69年のプロデビューから74年まで5枚残った命の葉を1年1年灯すようにして音楽に捧げた彼の作品なのだから。尚、この文章を書くに当たって国内盤CDのライナーを書かれた大鷹俊一氏に多大な感謝の意を表したい。
『Five Leaves Left』
1、Time Has Told Me
2、River Man
3、Three Hours
4、Way to Blue
5、Day Is Done
6、Cello Song
7、The Thoughts of Mary Jane
8、Man in a Shed
9、Fruit Tree
10、Saturday Sun
69年9月発売の1stアルバム。発売当時はニック自身はまだ大学生だったと言う。タイトルは手巻きタバコの最後から5枚目のタバコに印された「あと5枚」という言葉にインスパイアされているという。サウンドはスモーキーなニックの歌声と何気ないが独特の響きを持ったアコースティックギター、フェアポートコンヴェンションのリチャード・トンプソンの英国トラッドに根ざした穏やかなエレクトリックギター、エルヴィス・コステロに絶賛されたニックの友人であるロバート・カービーによる流麗・幽玄としたストリングスアレンジが非凡な美しさとある種牧歌的な雰囲気を醸し出す。非常に趣き深い作品と言える。3枚しかオリジナルアルバムを残せなかった彼のキャリアでも2枚目の華やかさ、3枚目の苛烈な美しさとの丁度中間に位置する作品といえる。冒頭のアコースティックギターが一度つま弾かれた瞬間から部屋の空気を一変させるM1、リチャード・トンプソンのギターも非ロック的なスムースなフィーリングを聴かせる。続くM2はロバート・カービーの決して大仰にならないストリングスアレンジの真髄が早くも聴ける。そのストリングスアレンジの到達点としてM4が早くも登場する。悲しげな色合いを湛えたストリングスとニックの声の相性は抜群。以降も最後のM10までこういったコンビネーションの妙と純粋な曲の良さですっと聴ける。そして聴き終わった時、心に染み渡るような豊かなフィーリングを味わうことが出来る。そんな名盤。