Radiohead
レディオヘッド。1991年イギリス・オックスフォードにて結成。メンバーはトム・ヨーク(Vo,g)、ジョン・グリーンウッド(g,ky)、エド・オブライン(g)、フィル・セルウェイ(ds)、コリン・グリーンウッド(b)の5人。レディオヘッドは現役バンドの中でも最重要バンドの1つであります。何故なら彼らのキャリアは“1人(組)・ロック史”だからです。1・2枚目のアルバムでの彼らは80年代イギリスの英雄的バンド、ザ・スミスの様な陰鬱なメロディーに絶望的な歌詞、シューゲイザー・グランジ・USインディに触発されたノイジーなギターサウンドで人気を博します。そして3枚目のアルバムでそれまでのサウンドにエレクトロニクスを大胆に導入しギターロックの未来系を提示し、時代の頂点に上り詰めます。そして4・5枚目のアルバムで従来のサウンドから完全に逸脱し、ポスト・ロックといういわゆる“非・ギターサウンドによるロック・ミュージック”を一般にまで浸透させる牽引役となり、いわゆるロック的な評価を抜け出しあらゆる方面から賛辞を送られる唯一無二の存在になったのです。そして何より驚きなのが2003年に発売された6枚目のアルバムではまた新たなギターサウンドを引っさげてシーンに戻ってきたのです。ここまで書けばレディオヘッドが何故1人ロック史なのかお分かり頂けたと思いますが、レディオヘッドはポピュラーミュージックの縮図である解釈・解体・再解釈をたった1人(1組)でしかも短期間で起こしてきたバンドなのです。管理人の私はレディオヘッドのお陰でリアルタイムの音楽を積極的に聴くようになり、また1つ音楽素晴らしさ知ったので恩を幾ら返しても返しきれないのです。
『Pablo Honey』
1、You
2、Creep
3、How Do You?
4、Stop Whispering
5、Thinking About You
6、Anyone Can Play Guitar
7、Ripcord
8、Vegetable
9、Prove Yourself
10、I Can't
11、Lurgee
12、Blow Out
93年発売の1stアルバム。前年発売された2枚目のEP「Creep」が大きな評判を呼び製作された待望のアルバムで、日本でもアメリカでの評価がフィードバックされる形で人気を獲得したそうです。サウンドは全体的にトリプルギターによる分厚いノイズに覆われたギターとトム・ヨークのエモーショナルなヴォーカリゼーションがフューチャーされたアルバムです。歌詞はイギリス屈指の皮肉屋モリッシー直系のどうしようもない閉塞感ばかりが歌われます。翌年デビューするOasisとは対照的に自己嫌悪と他人を徹底的に否定する歌詞にあまり積極的にこういった音楽を聴かない一般の方が付いてこられるかどうかは分かりませんが、悩める若者の心はグッと捕えて放さないものであることは確かだと思います。発売から11年目(現在2004年7月)を迎えたこのアルバムを本人たちはインタビューなどで自嘲気味に語ったりしますが、「Creep」の歌詞、溢れる激情をそのまま表したノイジーなギター・カッティングによって命すら助けられた人は少なくないんじゃないでしょうか?アルバム全体の音は現在聴くといささか古いですが今でも「Creep」を含むこのデビューアルバムはレディオヘッドの出自を確認する上で重要な一枚であることは間違い無いのです。
『Ok Computer』
1、Airbag
2、Paranoid Android
3、Subterranean Homesick Alien
4、Exit Music (For a Film)
5、Let Down
6、Karma Police
7、Fitter Happier
8、Electioneering
9、Climbing up the Walls
10、No Surprises
11、Lucky
12、The Tourist
1996年発表の3枚目のアルバム。1st『Pablo Honey』と2nd『The Bends』でギターと歌と言う点で頂点を極めてしまったレディオヘッド。そこで彼らが目を向けたのは非ロック音楽。いわゆるエレクトロニカやアブストラクトヒップホップなんて当時は相当コアなリスナーでなければ聴いていないような音楽のそれまでのフォーマットに加え始めます。そして完成したのがこの傑作。彼らはこの作品と次作『Kid A』で完全に一般リスナーの趣向を変換させます。そこで出てくるのがOasisとの関係性。Oasisはこの作品の前年に当る95年に『(What's the Story) Morning Glory?』という90年代最高の“歌ものロックアルバム”を発表しています。人々は作品の出来に驚嘆し、壮絶なセールスを記録しました。そのアルバムが放っていた普遍のメロディによる高揚感・全能感に冷や水を浴びせるようなアルバムがこの『Ok Computer』だったのです。90年代というのはどう考えてもポップミュージック誕生以来最も暗い時代であったことは間違い無いでしょう。それを前提とすれば、暗い時代の最中にOasisの高揚感・全能感に狂気した人々も正しければ、このレディオヘッドの作品にによって当時がどんな時代なのかを自覚した人々も正しいとしか言いようが無いのです。結果、Oasisが97年に出す『Be Here Now』は名曲揃いで決して悪いアルバムじゃない(むしろ名盤と言ってもいいかも)のにこの作品を経てしまったリスナーたちにどこかあっさりと迎えられてしまい、本人達すら「あれは失敗だった」と言う旨の発言をしてしまいます。ここに定型化しやすいポップミュージックの残酷さが現れていると言えるかもしれませんね。Oasisはそれまで通りの良い曲をそのまま、しかしレディオヘッドはその良い曲に我々一般リスナーにとって未知のサウンドテクスチュアを貼り付けポップミュージックのあり方を更新して見せたのです。さて、アルバム全体の内容はM1の冒頭からすでに明らかにそれまでのロックとは違った感覚を想起します。特に明らかにロックで無いドラムが入ってきたときの衝撃は忘れられません。曲中も様々なエフェクト加えられたり、ストーンローゼスの1st辺りのリンギングなギターサウンドを逆手にとって掻き鳴らしたりされていて結構混沌とした音作りなんだが、メロディが美しいため非常に爽やかに聴かせる。M2は管理人がレディヘッドの中でもかなり好きな曲の1つ。いわゆるこのバンド得意の静寂の序盤からから一変狂気的なギターサウンドが唸りを上げるというヴァ―ス・コーラス・ヴァ―ス構成の曲。サウンドテクスチュアの効果でその構成によって得られる快感がこれまでに無いほど高まっている。M3はディランの名曲タイトルをパロったもの。特筆すべき所はないが、このアルバムの印象を象徴付けるように色んな音が飛び交っている。M4は映画のために書き下ろされた曲。弾き語りで進み徐々にトムのヴォーカルがエモ―ショナルになっていく感動的な一曲だが、歌詞がとんでもなく暗い。M5はこれもレディオヘッド史上最高の一曲に数えられる名曲。この曲の沈痛な雰囲気と歌詞を味わうにつれ、やはり時代の転換を痛感せずにはいられない。クリアなアルペジオのギターにエモーショナルなヴォーカルが乗る美しいバラード。良くも悪くも“UKロック”なんて言葉の雛型になった1曲だ。M7は曲ではなくコンピューターボイスによるポエトリーリーディング。現代的幸福を散々羅列し、最後に“檻の中のブタ”と吐き捨てる。すぐ思い浮かぶ幸福なんて一部の企業が決めたまやかしでしかないんだと言う強烈な訴えかけをする。M8はこのアルバムにしては珍しく一聴して分かるような目立つエフェクトが殆ど加えられないギター炸裂のナンバー。M10は管理人がアルバム中最も好きな1曲。メランコリックな曲調も好きだが歌詞が一番共感できた。僕が自分と違う第三者だったらこんな歌詞に共感出来る人と付き合うことはあまり推奨しない(笑)。続くM11は冒頭からかなりダウナーなヴォーカルが気分を憂鬱にさせる。後半の間奏になると無理やりにエモ―ショナルナ展開に行くが結局最後に冒頭のメロディランがリフレインされ非常に後味が良くない。歌詞もどこが「Lucky」なのか理解に苦しむ(恐らく皮肉だと思うが)が、良い曲だ。最後M12はこれまでの2曲の穏やかでレイジーな流れを引き継ぎ、完結させる1曲。これ以降非ロックの音楽をロックのリスナーに案内していくことになる自らの運命を示した因果なタイトルだ。このように本作で殆ど従来のメロディックな曲調と構成の変わらない曲にエフェクトとリズムの変化で全く新しい聴感を生み出したレディオヘッドはいうなれば“ロック・デザイナー”の頂点に昇り詰め、今現在(04年)でもその座は明確に彼等の元にある。(04年9月12日)