Sly & the Family Stone
Sly & the Family Stone 。1967年結成。それまでラジオDJやプロデュース業を中心に活動していたシルベスター・スチュアートこと、スライ・ストーンを中心に結成された7人編成の人種混成バンドの先駆け的存在。折りしも結成年は67年でヒッピー/フラワームーブメント真っ盛り。スライはそこに乗遅れてはならないとばかりに“みんな!踊ろうぜっ!”とばかりにロックにファンクを取り入れたダンスミュージックでデビュー。デビューアルバム『新しい世界』から3枚目『ライフ』までのこのバンドの音楽を一言で言えば“楽しげ”。時代は60年代。60年代は若者が“若いということ”に意味を感じ始めた最初の時代といわれ、生きることを誰もが謳歌したかった。それの促進させるものとしてセックス・ドラッグ・ロックンロールがあったと言われています。それにこのバンドはファンクを持ち込んで更に狂乱の60年代を演出するのに一役買ったといえるでしょう。しかし69年の4作目『スタンド!』になるとこれからの時代がタフでなければ生きていけないと言うことを歌詞に織り込み始められ、ファンク御大・JBのように公民権運動の絡みもあったのでしょうか、白人と黒人の関係性について言及した詞も見られ始めるようになります。しかしスライ自身はドラッグに溺れていたので、その歌詞すらどこか焦点の定まっていない印象が残ります。そして71年の5枚目『暴動』になるとあの楽しげな雰囲気は一切消え、歌詞も問題提起や逃避的なものが増えて議論を呼びました。しかしアルバムの出来自体は素晴らしく、未だに最高傑作との呼び声があるほどの作品となりました。しかしこの頃になるとバンドの結束は消えうせ、殆どスライ一人の尺度で作品作りが行われるようになっていき、『フレッシュ』や『スモール・トーク』などの傑作を放つもののバンドとしての活動はほぼ無くなり、単発的な作品やソロ活動などを行った後ほぼ完全に沈黙状態が陥り、現在に至る。ロックからソウルやファンクに流れる人間なら絶対に避けられないのがこのバンド。私がこのバンドの魅力を言うならばはやっぱり楽しさと問題意識を背中あわせにしたサウンドと歌詞でしょうね。今は当たり前のように使われるチョッパーベースなんかもこのバンドのベーシストのラリーグラハムが元祖だし、何よりスライの音の空間設計が素晴らしい。これはアルバムの項の方で詳しく語りたいと思います。
『Theres A Riot Goin On』
1 Luv N' Haight
2 Just Like A Baby
3 Poet
4 Family Affair
5 Africa Talks To You/'The Asphalt Jungle'/
6 Ther's A Riot Going On
7 Brave And Strong
8 Smilin' (You Caught Me)
9 Time
10 Spaced Cowboy
11 Runnin' Away
12 Thank You For Talkin' To Me Africa
1971年作品。本作に先駆けること一年前の70年にアメリカでシングル『Thank You(Falettinme Be Mice Elf Agin)』が全米ポップチャート1位を獲得する。この曲の雰囲気は前作『スタンド!』とはかなり違った雰囲気のものだった。ブリブリとチョッパーベースが立ち上がり、このバンドのトレードマークである所の歯切れが良すぎない独特のノリを持ったギターカッティングが被さり、決して明るくないメロディに“パーティをありがとう/でももう俺はここには居られないんだ”という時代を象徴する歌詞が乗せられる。60年代よありがとう、でも、もうさよならさ。という時代の気分がこの一曲に集約されていると言えるでしょう。そのある種祭りと引き変えに背負わなくてはならなくなった代償というのは60年代を謳歌した若者であればあるほど、あまりに重く苦しいものだったのでしょう。実際スライ自身も時代の波に自ら積極的に乗り、大いに楽しんだ口で、代償としてドラッグへの依存を引きずったままでした。そうした背景があって製作に向かわれた本作は歌以外は殆どスライ一人で演奏し製作されたといわれています。アルバム冒頭M1から飛び跳ねたくなるような気分には一切ならないが腰だけが刺激され続けると言う非常に珍しい曲展開をみせる。ここで踊るのを諦めてよく聴いてみると気付くのが“スライの音の配置の上手さ”であります。この作品は後にプリンスの諸作やベックの『ミッドナイト・ヴァルチャ―ズ』などに影響を与えたと言われますが、プリンスの場合はもっとバラードが入ったりして甘いし、ベックの場合はコラ―ジュセンスはあるのものの音配置のセンスが今一無い。表出する音や質感は全く違うが音の配置センスだけであったら思わずジョン・マッケンタイアを引き合いにだしたくなるほどだ。M2になると更に雰囲気は暗くなり、グルーヴさえも最低限に抑えられ、“赤ん坊のように”と歌われる。冒頭の二曲の歌詞は完全に現実逃避がモチーフになっている。恐らく当時のスライ自身の心情をそのまま歌い上げたのであろう。逃げる訳にいかないためM3は自分のアイデンティティを改めて確認する歌詞が象徴的。この曲もキーボードの入り方が信じられないほど格好良い。M4はもはやモーダルと言えてしまいそうな曲の雰囲気に入るツインボーカルの絡みが絶妙な名曲。M5は9分近くある長尺の曲2本のギターとベースを裏に繰り広げられる“ヴォーカル劇”は壮絶だ。歌詞も全てを投げ出してしまいたいのとあの楽しかった季節への未練がアリアリと窺える内容だ。そして壮絶なM6は8秒間の無音という内容。ジャケット自体もそうだが非常に国家へ対して挑発的な演出だ。その流れを引き継ぐようにM7は強烈に反骨精神を鼓舞する内容となっている。M8も時代に別れを告げたものとそうでない者の関係性を描いた歌詞となっている。そしてこのアルバムの本質を如実に現すのが最後の2曲の歌詞の内容だ。M11では物事から逃げ出した者を描き、そして最後のM12では(シングルの『Thank You(Falettinme Be Mice Elf Agin)』を別アレンジにして作り変えたもの)闘争の末、自分自身を取り戻すという、いわば集団や民族レベルでなく個人レベルでの転換や革命を促すことへ視点の移動が見られる。管理人としてはこの個人レベルでの転換や革命と言うのが最も痺れる瞬間だ。この姿勢こそレベルミュージックの最終形だと信じて疑わない。こんな傑作を作りあげたスライであったが体はドラッグでボロボロ、それにともなってバンドもバラバラ。結局ソングライティングとアイデアのみが勝負になったスライはなんとか『フレッシュ』と『スモール・トーク』という傑作をモノにするものの、それ以降はソロをやったりメンバーを入れ替えたりと安定しない活動を未だに続けている。(2004年9月9日)